リハビリ発達支援ルームUTキッズ河合 「共生社会」・・・ということ

9月になって、朝夕は、暑さもやわらぎ、少し気持ちに余裕が出てきたので、気になっていた文書に目を通しました。

文部科学省の「共生社会の形成に向けて」というものです。

 

文部科学省が唱える「共生社会」とは、<障害者等が、積極的に参加・貢献することができる社会>であり、

そこでは<人格と個性が尊重され、人々の多様なありかたが相互に認められる社会>であるという。

そして、この社会の実現のために、障害者等に<合理的な配慮>をしながら

「インクルーシブ教育」(障害のある子とない子が、同じ場で、ともに学び合う教育)を展開してゆくという。

 

そして、最も大切なことは・・・

 

「それぞれの子どもが<生きる力を身に付ける>こと」

 

・・・としています。

 

これが、文部科学省から出された文書の、冒頭に書かれていることの一部です。

ここだけを読んでみて、このような社会になったらどれほど良いだろうと思う反面、

日本の社会がこのようになるには、どれほどの時間を費やせばいいのだろうと、

そして、本当に実現できるのかと、途方に暮れてしまいました。

 

僕自身、障害を持って生きてきて、僕が経験した範囲での社会は、

≪障害者を容易には受け入れない社会≫であり、

差別や偏見にまみれ、≪障害者の人格も個性も尊重されない社会≫でした。

 

 

・障害者だとわかった途端、手のひらを返したように冷たくなった人たち

・どうせ障害者なのだから、この程度にあしらっておけばいいとする人たち

 

 

「わかったよ、もう、信じないね」

心の中で、そう、つぶやいて、いくつもの願をあきらめて、

歯を食いしばって生きるほかありませんでした。

 

自分は、もう、≪普通の人≫ではない。できないことが増えて、

人としての価値が無くなったと思うことが悲しくて、

自分が≪障害者≫であることを受け入れることにとても時間がかかりました。

 

それでも、あれこれともがいているうちに、気が付いたことがあります。

 

・・・もし、できにくいことを、できるようになりたければ、

粘り強く努力するほかなく、できにくいことでも、しなければならない時は、

どうすればできることでカバーできるかを考えればいい。

 

・・・そう、努力と工夫が必要なのだ、ということ。

 

そう考えられるようになって、もう一度、世の中を見渡してみると・・・≪普通の人≫は、どこにもいませんでした。

≪普通の人≫など、僕の内側にある障害への偏見を、僕自身に差し向けた結果の、幻想でしかなかったのです。

ほんとうは、みんな得意と不得意を持ったなかで、懸命に生きている。

ただ、できることとできないことの差が大きいか、小さいかの、程度問題に過ぎない。

だから、≪普通の人≫とか≪障害者≫とか、区別をすることにあまり意味はなく、

大切なのは、努力と工夫を続けながら、自分らしく頑張って生きようとする意志を持ち続けること。

 

このような意味で、僕は・・・

「それぞれの子どもが<生きる力を身に付ける>ことが最も本質的な視点である」

という、文部科学省の見解に賛同するのです。

 

では、どのように、子ども達に分かってもらうのか・・・。

 

「共生社会」・・・いまだ日本が実現したことのない社会。これを成し遂げることは簡単な道のりではないようです。

できるのか・・・できないのか・・・。そこで僕が期待しているのは、子ども達の感性です。

言葉や理屈で理解するのではない。できることと、そうではないことを抱えて、みんなが頑張っている!

この現実を感覚的に受けとめる。

 

 

たのむよ、感じ取ってくれ。

それが、君を、「人間」にする!

 

 

僕は、そう信じて、子ども達とかかわってゆきます。

 

 

 

 

リハビリ発達支援ルームUTキッズ河合  山之内

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