「私の母を偲ぶ」
こんにちは、訪問看護師の辰己です。今回は私の母について書かせて頂きます。
私の母は94歳迄生き、それ迄の道のりは長い人生であったと思います。大正生まれで生前にはよく子供の頃の苦労話を聞いた記憶があります。その時は私は何となく「ふ~ん」と言いながら聞いていましたが今になってもっと料理の事や編み物を楽しんでいた時の事も聞いてあげられたらきっと喜ばれたに違いないと思います。
母が成人の頃は大阪で住まいを持ち生活されていたそうでしたが昭和20年には大阪にも戦争で大空襲となり居住地は廃墟となり家族共に田舎に疎開されたと聞いております。
父が他界してからは当面一人暮らしとなったが高齢になり寂しさと不安がみられ一人では生活する事が困難となり88歳の時に、私が住む奈良を選び一緒に生活をする事となりました。時折、ゆかいな話をしたり毎日日記を書いたり歌謡曲を聞きながら老後を暮らしていました。
特に大きな病気もみられませんでしたが年齢と共に腰椎圧迫骨折を起こし突然入院に至ったこともあります。病院のベッドで辛くて一人で泣いていた事もあったようです。又、次第に認知症症状の出現もみられ昼夜逆転するようになり私も仕事を辞めようかと思い悩んだ事もあります。仕事の合間を見ながら自宅に帰るとベッドの下で寝ていることもありました。
そのような中である日、窓のカーテンが気になり体を動かした際にふらつき、転倒して緊急入院となり医師から大腿骨頸部骨折と診断され手術となりましたが、その後の経過から体力、精神力が日々大きく低下し心不全を併発にて回復の見込みもなく医師からは余命宣告をうけました。母は「私はまだすることがあるので生きたい」と言われた事が今も私の耳の奥に残っています。私の心は晴れないまま「もう家には元気で帰れないのかなあ・・」とベッドで寝ている母を見て「私には何ができたのだろう」とそう自問しましたが答えは何も出て来なかった事があり悔やまれます。いつ迄も私にとっては尊い母であり何歳にも生きていてほしい気持ちは今も変わりません。毎年、この頃になると母を思い出し一緒に過ごした日々を懐かしく思う今日今頃です。