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2023.02.09

「訪問看護師、母を看取る」

みなさん、こんにちは。訪問看護師の太田です。

 

私は昨年、母を自宅で看取りました。そのことについてお話しさせていただきます。

 

年の始め、母が定期的に受けている検査で病気が見つかりました。母は驚くよりも、「お父ちゃんやお母ちゃんとおんなじ病気になったんやなあ。」と静かに受け止めていました。母、姉とも相談して、年齢、体力を考えて、根本的な治療ではなく、出てきた症状に対処していこうということになりました。

「春になったら、女4人で綺麗に着飾って桜の下で写真を撮ろうよ。」私の提案に、着付けを生業としている姉は着々と段取りを進め、決行の日を迎えました。その日の母は体がだるくて起き上がるのも辛そう。「これは無理かな・・・」とためらいましたが、理容師さんにマッサージやメイクをしてもらうと少しずつ表情が明るくなってきました。私、私の娘、姉の娘、最後に母と順番に着物を着付けていく姉、汗だくです。そして近所の川沿いの満開の桜の下での撮影会。この時期一番見頃の桜。母の足取りも軽くなりました。

母は、若いころからずっと、子供たちに習い事を教える仕事をしていました。しかし夏を迎える頃には、病気の影響で声がかすれて出なくなってきたり、体力が持たなくなってきていました。この頃には、一人実家に置いておくことができず、私の住まいで寝起きし、仕事の度に実家に連れて帰っていました。

「もう、続けるの無理やな・・・」ある日、仕事に向かう道中、母が呟きました。「でも月の始めにどうしても試験を受けさせたい生徒がいる」。そこまではなんとか続けたいという母の気持ちを支えるため、姉が仕事に付き添うようになりました。数日後、起きてきた母の表情が曇っています。しばらく様子を見ながら、「どうしたの?」と聞くと、「病気で仕事を辞めることになるなんて思ってもいなかった」、「自分が病気で死ぬこと、考えてなかった。ずっと続けてきた仕事なのに・・・」と涙を流しています。母が必死に揺れる気持ちと戦っていることがわかりました。

最後の仕事を終えた頃には、なかなか食事が摂れなくなってきて、体を起こすのも辛そうになってきていました。主治医は入院を勧めて下さいましたが、実家で母と過ごす時間を持ちたいと、病院の地域連携室の看護師さんと、居住区の地域包括支援センターに相談しました。直ぐに往診医、訪問看護ステーション、ケアマネさんを手配してくださいました。母の弟達、甥、姪たちも何度も訪ねてきてくれました。「ありがとう、私はほんまに幸せや。」と母はいろんな場面で何度も言ってくれました。

 

“ゆっくりと着地するように最期を迎えてもらいたい”それが私と姉の願いでした。夜中に姉と二人、母の枕元でくだらない冗談を言って笑っていると、それに応えるように大きな息遣いをする母。翌朝、私達の目覚めを待って母は旅立ちました。

 

子供の頃、思いがけない病気で入院した私。灯りを落とした病室で、母が不安そうに泣いていることがありました。「私がいるから大丈夫!」大きくなったら、家族が病気になった時にそう言ってあげたいと思い、私は看護師になったのです。

在宅での看護は、訪問看護師としての私の本領発揮!と思っていましたが、本当に多くの方に助けていただきました。母の元を訪れる看護師さんの中には、私が病院勤務していた頃の後輩が3人もいました。彼女たちは私よりも長く訪問看護を経験しており、私に多くの気づきや安心をもたらしてくれました。往診してくださるドクターも「どうしたらお母さんが、お母さんらしく過ごせるかなあ。」といつも母や私達の気持ちを聞いてくださいました。医療者ではない姉も点滴を抜いたり、血糖値を測ったり、注射を打ったりと奮闘してくれました。看護師として積み重ねてきた経験や人との繋がりは、母と過ごす時間の中に、いくつものピースとなって埋まっていきました。「母の看取りが、私の看護師としての集大成だった。もうやりきった!」と思いました。

しかし今、ご自宅での療養や看取りに訪問看護師と関わらせて頂く時、母の看取りを経験したことで、「お母さんが、私を看護師として成長させてくれていた。」と感じることがあります。まだ看護師として続けていくことに意味がある。「私がいるから大丈夫!」その言葉を今度は利用者さんやそのご家族にも伝えられる訪問看護師になりたいと思います。

ユーティー訪問看護ステーション 看護師 太田