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2020.09.11

リハビリ発達支援ルームUTキッズ河合 「共生社会」・・・ということ

9月になって、朝夕は、暑さもやわらぎ、少し気持ちに余裕が出てきたので、気になっていた文書に目を通しました。
文部科学省の「共生社会の形成に向けて」というものです。
 
文部科学省が唱える「共生社会」とは、<障害者等が、積極的に参加・貢献することができる社会>であり、
そこでは<人格と個性が尊重され、人々の多様なありかたが相互に認められる社会>であるという。
そして、この社会の実現のために、障害者等に<合理的な配慮>をしながら
「インクルーシブ教育」(障害のある子とない子が、同じ場で、ともに学び合う教育)を展開してゆくという。
 
そして、最も大切なことは・・・
 
「それぞれの子どもが<生きる力を身に付ける>こと」
 
・・・としています。
 
これが、文部科学省から出された文書の、冒頭に書かれていることの一部です。
ここだけを読んでみて、このような社会になったらどれほど良いだろうと思う反面、
日本の社会がこのようになるには、どれほどの時間を費やせばいいのだろうと、
そして、本当に実現できるのかと、途方に暮れてしまいました。
 
僕自身、障害を持って生きてきて、僕が経験した範囲での社会は、
≪障害者を容易には受け入れない社会≫であり、
差別や偏見にまみれ、≪障害者の人格も個性も尊重されない社会≫でした。
 
 
・障害者だとわかった途端、手のひらを返したように冷たくなった人たち
・どうせ障害者なのだから、この程度にあしらっておけばいいとする人たち
 
 
「わかったよ、もう、信じないね」
心の中で、そう、つぶやいて、いくつもの願をあきらめて、
歯を食いしばって生きるほかありませんでした。
 
自分は、もう、≪普通の人≫ではない。できないことが増えて、
人としての価値が無くなったと思うことが悲しくて、
自分が≪障害者≫であることを受け入れることにとても時間がかかりました。
 
それでも、あれこれともがいているうちに、気が付いたことがあります。
 
・・・もし、できにくいことを、できるようになりたければ、
粘り強く努力するほかなく、できにくいことでも、しなければならない時は、
どうすればできることでカバーできるかを考えればいい。
 
・・・そう、努力と工夫が必要なのだ、ということ。
 
そう考えられるようになって、もう一度、世の中を見渡してみると・・・≪普通の人≫は、どこにもいませんでした。
≪普通の人≫など、僕の内側にある障害への偏見を、僕自身に差し向けた結果の、幻想でしかなかったのです。
ほんとうは、みんな得意と不得意を持ったなかで、懸命に生きている。
ただ、できることとできないことの差が大きいか、小さいかの、程度問題に過ぎない。
だから、≪普通の人≫とか≪障害者≫とか、区別をすることにあまり意味はなく、
大切なのは、努力と工夫を続けながら、自分らしく頑張って生きようとする意志を持ち続けること。
 
このような意味で、僕は・・・
「それぞれの子どもが<生きる力を身に付ける>ことが最も本質的な視点である」
という、文部科学省の見解に賛同するのです。
 
では、どのように、子ども達に分かってもらうのか・・・。
 
「共生社会」・・・いまだ日本が実現したことのない社会。これを成し遂げることは簡単な道のりではないようです。
できるのか・・・できないのか・・・。そこで僕が期待しているのは、子ども達の感性です。
言葉や理屈で理解するのではない。できることと、そうではないことを抱えて、みんなが頑張っている!
この現実を感覚的に受けとめる。
 
 
たのむよ、感じ取ってくれ。
それが、君を、「人間」にする!
 
 
僕は、そう信じて、子ども達とかかわってゆきます。
 
 
 
 
リハビリ発達支援ルームUTキッズ河合  山之内