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2022.02.01

訪問ご利用者息子様の作文

『訪問ご利用者息子様の作文』

僕が物心ついたとき、お父さんはいつもベッドの上にいました。体は自力で動かせられず、外出するときは車いすに乗り、誰かに押してもらう。今思うとなかなか大変なことです。保育園を卒園し、成長していくにつれて、僕の中に疑問が浮かびました。「友達のお父さんは歩いているのに、なぜお父さんは歩けないのだろう?」まだまだ幼かった僕は、お父さんが動けない理由がまるでわかりませんでした。

小学三年生のころ、お父さんは呼吸器をつける手術のために、声を失いました。コミュニケーションは視線認証のキーボードで取れましたが、僕はお父さんの声を聞くことがなくなりました。疑問は大きくなりましたが、小学生のわがままのようなものだと自分でもわかっており、決して口にはしませんでした。でも、たぶんこのころから、僕は「不便さ」というものを考えるようになっていきました。

ひとつだけ、よかったと思うことがあります。それはお父さんがALSを発症したとき、僕がまだ幼かったことです。「お父さんのお世話を手伝うこと」、これが幼い僕の生活の一部になりました。僕の中で、それが「当たり前」になりました。だから、僕にはあの生活が「不便」であったとしても、「苦痛」にはなりませんでした。

六年生のころ、僕はお父さんがすごい人だったことを知りました。お父さんが講演会をしたのです。たくさんの席がある大きなホールで。車いすに横たわったお父さんが、パソコンを傍らに大きなステージにいました。袖から見た席には多くの人が座って、お父さんの話を真剣に聴いていました。生活をしていて、だんだん足に力が入らなくなっていったこと。次第に体全体が動かなくなっていき、ベッド上の生活になっていったこと。僕は初めて、お父さんの体に起こっていたことについて理解しました。そして講演後、お父さんのもとにいろいろな人が来ました。写真を撮ってくれた人、お父さんを「先生」と呼ぶ人、その人々それぞれが、お父さんに感謝、あるいはねぎらいの言葉をかけて、帰っていきました。たぶんこのころから、僕はお父さんを尊敬するようになりました。

中学生になって、お父さんは入院が多くなりました。加えて少し反抗期になっていた僕は、お父さんとの会話が少し煩わしくなっていました。中学三年生の二月、私立の受験が終わったころ、お父さんが入院していた病院に行ったお母さんからすぐ来るように連絡が来ました。お兄ちゃんとタクシーに乗って病院につくと、お父さんのベッドのそばにはお母さんと病院の先生がいて、お父さんのまぶたは閉じかけていました。僕とお兄ちゃんに気づいたお父さんは、安心したように微笑むと、動かなくなりました。

お父さんを尊敬するようになった理由の一つは、「つながりの広さ」です。お父さんの大学の同窓会での友人方、訪問センターのヘルパーの方々、講演会での参加者方、そして、お父さんのお葬式にいらっしゃった方々。学生時代に出会った「友達」や、理学療法士として診てきた「患者さん」など、本当にたくさんの人々とのつながりを、お父さんは持っていて、しかもそのみんながみんな、お父さんに親切でした。それは紛れもなく、お父さんがその人々と良い関係であったことを示しています。中学生のころ、友達ができにくいややこしい性格をしていたぼくには、その姿がまぶしく映っていました。

ALSに限らず、難病というものは難儀なものだと思います。かかってしまったことを誰の責任にもできず、しかも治すのが困難だったり、二度と治らなかったりする。かかってしまった当事者も、その周りの人たちも、その先の人生が大きく変わってしまう。

では、難病というのは、僕たちから何かを奪っていくばかりなのでしょうか。少なくとも、僕は違うと思います。難病にかかるという「不便な生活」は、僕たち健常者に大切なことを教えてくれます。それは「健常であることの幸せ」も、たしかにあります。しかし一番のことは、「どんなことでも「普通」にできる」ということです。病気になること、いわゆる「普通じゃないこと」は、最初はとても理解しがたく、あるいは認められず、目をそらしてしまいます。しかし、それを継続し、日常の一部に組み込むと、次第にその生活は、その人にとっての「普通」になります。

お父さんが生きていたころ、僕にとってお父さんのお世話をすることは「普通」でした。幼いころにお父さんが病気になったことが、僕の中の「普通」をはやくに形作ったようです。

難病になってしまった方、もしくはその家族の方。今までの日常は壊れてしまうかもしれません。しかし、すぐにとは言いません。ある程度落ち着いたら、新しい生活を過ごしてみてください。それはやがて、あなた方の新しい日常になります。新しい日常のその中で、見つけた幸せをかみしめてください。そうすればそれが、かけがえのないあなた方の財産になるでしょう。

 

上記の文章はM様の息子様が書いたものです。平成25年4月から訪問開始させて頂いたM様はALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病と闘っておられました。全く動けず話すこともできない状態でしたが、ベッド上で視線を動かすことでパソコン入力を行い会話をされていました。病前は病院で理学療法士として働いていたことから、障がいを持つ当事者としての考えをたくさんの人に伝えてほしいと思い、まずは当事業所職員に対し講義を行なっていただきました。実際に講義を行なうことで「できる」という自信を持ってもらった後、次々と講演を行っていただきました。

平成26年11月 当事業所主催の「在宅ケアを考える」会にて講演を実施

平成27年11月 関西学研医療福祉学院で理学療法学科および作業療法学科の学生に対し講義を実施

平成29年1月 夢のみずうみ楽会にて講演を実施

講義の方法としては、視線入力装置でパソコンに講義の原稿を作成し、音声出力で講演を行なってもらっていました。講演は40分程度行なってもらいました。その原稿は1か月以上かけて作成してくださり、非常に中身の濃い講演内容でした。平成26年の「在宅ケアを考える」会の講演で息子様お二人も来てお父さんの雄姿を舞台袖から見守っていたのが記憶に残っています。

そのご次男さんがお父さんについて書いた文章が、ALS協会近畿ブロックの会報に掲載されました。ヤングケアラーという言葉がよく聞かれるようになっていますが、障がいを持っている親御さんの子どもの気持ちが文章から大きく伝わってきます。奥様息子様の許可を得てこちらのホームページにも文章を掲載させて頂くことになりました。

息子様がお父さんを尊敬するきっかけとなった講演会を開催できたことは当事業所にとって大きな誇りとなりました。

M様、本当にありがとうございました。

ユーティー訪問看護ステーション 言語聴覚士 上野なつひ